そのままにしておく

Leaving it as it is

2018
single channel video (4′ 07″)

新しい部屋に引っ越して、はじめて東京に住むことになった。新しい生活のなかでの気づきをきっかけに、さまざまな現象を観察した映像の断片をあつめた作品を作った。

①部屋に備えつけのブラインドについて
ブラインドblind は不思議な装置だ。それはblindする──人の目を遮る、見えなくするものだけれど、その中にいる人にとっては、どれくらいの光や風景を部屋に取り込むかを自由に操作できる道具でもある。部屋の窓が、ブラインドのほかにもブラインドする要素を含んでいることに気づいた。窓には強化のための格子模様が構造があり、その奥には網戸の目がある。その奥には、また建物の壁、フェンス、タイルなど無数のパターンが存在し、風景を分節している。それらの面は、私の風景全体に対するアクセスを少しずつ阻害し、しかし新たな風景の肌理をつくり出している。

②5月16日の日記
部屋にいる私は、世界をなんらかの方法で見ている。いつもサッカーの練習の叫び声や吹奏楽部の演奏や、となりの部屋のドアが閉まる音が聞こえる。その音にずっと取り囲まれている。もしその音がしなくなっても、面に遮られて見えない、しかしあまりにも近いその世界がそのままであることを私は知っている。夜の学校がどんな風であるかを想像する。みんなよく眠っている。世界は、この私の生活と同じように何度も何度も繰り返される。夕方にスーパーの袋を持って歩くとき、もっと別の季節の夕方に、スーパーの袋を持って歩いている私の姿と重なる。この実感からしかはじめることができない、知っている人が知っている顔をしていることや、いつも見る建物の線や面で視界が区切られていることは、世界の繰り返しにつながっている。それが私の知っている秩序であり、あまりにも私に関係がなくて、そしてあまりにも私に関係している。

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