「イズム」なき消費とメディアの関係──K-POPファンダムとZINEカルチャーの比較から(2022

 日本では1990年代以降、インターネットの普及に伴ってネット右翼と呼ばれる人々の発言が流布し、その後も「在特会」による過激なヘイトスピーチなどの活動が起こるなど、中高年を中心に依然として反韓・嫌韓思想が支持されている。アメリカでは、2020年に始まったコロナウイルス感染症のパンデミックに伴ってアジア人へのヘイトクライムがより深刻化した。しかしその反面、K-POPをはじめとする韓国カルチャーの世界的な流行も目覚ましい。NETFLIXオリジナル『梨泰院クラス』『イカゲーム』といったドラマはロックダウン・ステイホーム期間中に世界中で一つの共通言語となり、BTS(防弾少年団)の楽曲『dynamite』は2020年に米ビルボードシングルチャート1位という快挙を成し遂げた。これらのコンテンツに留まらず、YouTube上でのモッパン(韓国語で食べる+放送を意味する言葉)や、美容とアイドルらしいメイクを叶える韓国コスメの流行に顕著なように、ライフスタイルを含めて「韓国」そのものがZ世代の憧れになっている。

 本稿では、筆者自身もここ数年でK-POPに魅了された一人として、今日のメディア環境のなかでのファン活動と消費の関係について考察を試みる。具体的には、ZINEカルチャーとK-POPを対比させることで、そこに関わる人々の「消費」における共通点や差異を明らかにする。資本主義のもとに発展してきたK-POPインダストリーと、草の根的な運動にマスから離れることを意図したZINEカルチャーは根本的に性質が異なっているという見方もできよう。しかしZINEカルチャーも元はファン活動に端を発したものであり、K-POPにおいても巨大な資本が動く背景にはファンダムの存在が不可欠であるため、両者を比較することは可能であると考えた。なお、本稿ではK-POPアーティストのなかでも、女性アイドルグループを中心に扱う。

「DIY」するメディア

 ZINEカルチャーとK-POPに共通するのは、「DIY(Do It Yourself)」の精神である。野中モモによればZINEとは、「インディペンデントで、独立した、『誰にも頼まれていないけど自分が作りたいから作る自主的な出版物』」[1]。その始まりとして知られているのは、20世紀前半のSFファンたちが作品発表・批評・交流の場としてスタートした「ファン・マガジン」(ファン・ジン)だ。いわゆる同人活動に留まらず、例えば日本では1960年代頃から「マスコミ」に対抗する「ミニコミ」として、サブカルチャー、安保闘争、パンク・インディーズ音楽、フェミニズム、演劇など、多様なテーマの元に出版物が発行された。ほとんどが出版社や取次を介さない自費出版の印刷物であり、企画から制作、印刷、流通に至るまで、自分たちの手で行うことが大きな特徴である。アリスン・ピープマイヤーは「ジンは参加型メディアであり、企業型の文化産業というより、むしろ消費者たちによって作られるメディアのひとつの例であり、1990年代なかばにはインターネットの興隆によって終焉が予測されていたにもかかわらず、近年の資本主義文化において継続中の潮流の一部として残っている」[2]と論じている。ZINEでは従来のシステムと別の仕組みを作ることに主眼が置かれているが、その実践はあくまで自らが消費者であるという制作者たちの意識に基づいている。つまり、広告を見て流行りのファッションをただ消費するだけでなく、そうしたイメージ戦略こそを疑い、まずは身近な生活から物事を考えようというアイデアから生まれたメディアなのである。だからこそ、インターネットによるコミュニケーションが当たり前になった現在でも、フェミニズムのムーブメントと共鳴して、現代の女子高生がRiot Grrrlに触発されてフェミニストZINEを作る『モキシー 〜私たちのムーブメント〜』(エイミー・ポーラー監督、2021年)のような映画に、我々はリアリティと希望を見出すことができるのだろう。

 こうした「DIY」精神がK-POPファンダムにも根づいているというのは意外に思われるかもしれない。吉光正絵によれば「韓国では、ファン達の自発的な応援がないと芸能システムを維持できないため、(中略)ファン達の前近代的なファン活動と芸能システムは共依存関係にあ」[3]り、K-POPアイドルの歴史は常にファンたちとともにある。1996年にSMエンターテインメントからデビューしたH.O.Tは「アイドルの元祖」とも言われている。当時の熱狂的な10代のファンたちは、グループのカラー(H.O.Tなら白)のペンライトや風船を持ち、コンサートなどで応援を行った[4]。その後はインターネットの普及に伴ってK-POPが「(音楽として)聴くものから(YouTubeなどを通して)見るものへ」[5]変わり、応援の方法は多様化していく。まずアイドル側(事務所やテレビ局などを含む)からは、音楽だけでなく、パフォーマンス動画やリアリティ番組(YouTube)、オフショット(SNS)、アイドル本人によるライブ配信(VLIVE)などのコンテンツが次々と供給される。対するファン側は、音源・CDの購入はもちろん、音楽番組での投票などを行い、アイドルの評価を上げることに徹する。そして新たな楽曲やコンテンツが投下されれば、すぐに感想や批評、考察が飛び交い、SNSで多くのフォロワーを持つアカウントは「布教シート」や「布教動画」を自ら作るなど、新たなファンの獲得にも余念がない。メディア文化研究者のすんみは、こうした「新しい技術やプラットフォームを媒介としたコミュニケーションを重視しながら、音楽空間をメディアとして動かす生産・流通・消費の感覚」[6]を「ソーシャルメディア的想像力」と定義している。ここでファンの存在は、一方的にコンテンツを享受するオーディエンスの枠を超えてより能動的・積極的に動くことで「組織化されたネットワークを築き、ミュージシャンと緊密なコミュニケーションをとるのはもちろん、ときには生産・流通・消費の構造に直接介入」[7]する存在として捉えられる。K-POPファンダムも、一種の「参加型メディア」としての様相を呈しているのである。

 では、具体的にはどのような活動があるのだろうか。代表的なのは「ファンカフェ」だろう。「ファンカフェ」とは会員制のオンラインファンクラブのことで、公式のものもあるが、多くはベテランのファンであり「マスター」と呼ばれる運営者によって運営されている。会員は世界中に偏在し、ファンミーティングや誕生日会の開催のほか、アーティストが出演する番組のスタッフへの差し入れや防寒服、誕生日の新聞広告などをボランティアで手配する。またマスターの主な活動の一つに、コンサートやサイン会、テレビ局、空港などで写真を撮影することがある。彼らはまるでバズーカのような超望遠レンズをカメラに装着してアイドルのファッションや表情を捉え、それをただちにTwitterにアップロードする。興味深いのは、しばしば「preview」として、カメラのモニターのプレビュー画面を携帯で撮影した画像が先に投稿されることである(編集された画像は時間を置いて投稿される)。清水暁子はこれについて、「ファンたちは『今』『どこで』自分の好きなアイドルが『何を』しているのかという情報を写真とともに共有し、瞬時に拡散している。そこでは共有の『早さ』に何よりも価値がおかれている」[8]と論じている。マスターによる写真以外にも、手ブレしたコンサートのステージ動画や、画質の荒いヨントン(アーティストとのテレビ電話)のスクリーン録画などがSNSには溢れている。清水が言うように、これらは容易に入手可能だが、それが「その場に居合わせたファンにしか獲得できない情報であり、(中略)まだ誰も知りえない唯一の情報」[9]であるからこそ価値があるのだ。K-POPファンによる情報は、その流通に限ればTwitter、Instagram、YouTubeなど、特段新たなプラットフォームを用いているわけではない。しかし情報の生産という点で見れば、紙を切り貼りし、店に行ってコピーをするZINEと同じように、いつどこであっても自分の足で出かけ、カメラを構えて撮影し、モニターを携帯で撮影してアップロードするという、非常にフィジカルな側面があると言えるだろう。

 事務所の側にも、こうしたファンダムの「DIY」精神を取り込もうという動きが見られる。NCT、Red Velvet、aespaなどを擁するSMエンターテインメントは2021年6月、メタバースなどを含めた独自戦略を発表[10]。2020年11月にデビューしたaespa(カリナ、ジゼル、ウィンター、ニンニンの4人組ガールズグループ)は、メンバーそれぞれが仮想世界の「もう一人の自分」であるアバター「ae」と「SYNK」を通じて繋がることができる、というコンセプトだ。aespaのデビュー曲『Black Mamba』に「KWANGYA(荒野)」というキーワードが登場して以来、EXO、NCT、の楽曲にも使用されたが、これは後に、マーベル・シネマティック・ユニバースのようなシェアード・ユニバース構想「SM Culture Universe(SMCU)」のキー概念であることが発表されている。また事務所が独自にファンの中から「プロシューマー」を厳選するプロジェクト「PINK BLOOD」を開始し、ダンスカバーなどのコンテンツ制作を支援するとしている[11]。ファンの行動をオンライン(メタバース空間)に取り込み、様々なメディアでコンテンツを再生産する試みである。

「贈与」するコミュニティ

 ここまで、ZINE制作者たち/K-POPファンたちに共通するフィジカルな「DIY」精神を考察してきた。では、彼らはその活動を通じてどのような「消費」を提示しているのだろうか。また、そこにはどのような差異があるのだろうか。

 ピープマイヤーは、他人から体型について言及されることへの苛立ちを表明したノミー・ラムのZINE『I’m so fucking beautiful』について、例えば小さなサイズ(名刺よりやや大きい程度)で作られた2 1/2号では、その形態そのものが「小さくて怖くない女性のイメージがはびこる社会において肥満の受容を要求することの難しさをドラマティックに表現して」[12]おり、ZINEカルチャーが生み出す「身体化されたコミュニティ」において物質性が重要な役割を担っていると論じている。また「身体化されたコミュニティ」は、贈与によって生まれるものでもある。ZINEコミュニティでは多くの場合、誰かのZINEを少額で購入するだけでなく、トレードも楽しみのひとつだ。ピープマイヤーによれば、かつて多くのZINEにバッジ、ステッカー、子供用のおもちゃなどが付属していたという。ZINEは「希少性とヒエラルキー経済の外側で動き、かわりに『喜び、寛大、ものとサービスの無料分散にもとづく』経済を作り出す」[13]。そして「ジンというメディアが持つ美学的な要請は、ガール・ジン作者たちが自分を取り巻く文化的エフェメラを収集し、その文化的素材を自分たちの作品とコミュニティを構築するのに利用するということを意味している」[14]。消費者としての制作者たちは、自分たちを取り巻くイメージや言葉を切り貼りし、それをオルタナティブとしてのシステムで流通させることで、コードを壊していく。そのシステムを支えているのが親密なコミュニティであり、それは物質の贈与によって身体化されている(誰かに手書きでメッセージを書き、ものを贈るときのワクワク感を思い出してみればよい)。ここにはZINEのモノとしての美しさにも、あるいは雑多さにも還元できない、個人とコミュニティをつなぐ消費の美学としての「イズム」が見え隠れしている。

 ではK-POPファンダムではどうだろうか。先述したファンカフェのマスターによる速報的な写真や、ファンによって作られる動画などの数々のコンテンツは見返りもなく生産されるものであり、これはファンからファンへの一種の「贈与」であると言えるだろう。同じアーティストへの愛を有する者同士の交流は、ファンにとって毎日の楽しみであることは確かだ。しかし、例えば吉光がインタビューを行ったファンカフェのマスターは、活動に喜びを感じる一方で、「なにしろ、女たちの世界ですので、嫉妬と牽制が大変です。あるカフェが少しだけでも活動がうまくいっていると、周りから嫉妬されるので……」[15]とファンカフェ間で規制的実践・相互監視が行われている様を語っている。彼らによって何よりも大切なのはアーティストとの関係であり、それだけ縄張り争いも激しい。「マスター」という言葉からも分かるように、彼らは事務所と直接交渉するなど、ファンのなかでも特権的な地位を持っている。贈与や布教によってコミュニティの裾野は広がり、気になるアーティストがいればその中に入っていくのも容易だが、ファンダムの中心にあるのはこうしたヒエラルキー構造だ。K-POPファンダムは、個人を繋ぐコミュニティであると同時に、文字通り集団としてのファン-ダム(fan-dom)であり、いかに個を密集させて成長し、アーティストと少しでも近づくかという戦略なのだ。そしてファンとアーティストの関係を繋ぎ止めているのは、(K-POP以外でも問題になっているような)CDやグッズの大量購入、そして誕生日広告といったファンカフェ活動に代表される消費行動である。熱狂的なファン-ダムのある意味で見境のない「イズム」なき消費は、アーティストへの誹謗中傷や、不祥事や不満があるたびに降板を求めて署名を行う国民請願、そして宿舎を訪れたり、アーティストの携帯に直接電話をかけたりする過激なファン「サセン」を生み出してもいる。

 最後に指摘しておきたいのは、こうしたK-POPファンダムの「イズムなき消費」は、アーティストにまつわるジェンダー/セクシュアリティへの意識の後進を招いているということだ。新たな美の基準を作ったガールズグループMAMAMOOや、まさに「Queendom」の世界観を体現するRed Velvetを始め、近年K-POPはエンパワメントの文脈で語られることも多い。しかしいまだにアーティストたちには厳しい体型制限が課され、整形がファンダム内で度々話題になるように、K-POP界は旧来的なルッキズムに基づいている。先述のSMエンターテインメントは今年1月、BoA、少女時代(テヨン、ヒョヨン)、Red Velvet(スルギ、ウェンディ)、aespa(カリナ、ウィンター)によるユニット・GOT the beatの新曲『Step Back』をドロップした。世代を超えた女性アーティストたちが集まったまさにシスターフッド的グループであったのにも関わらず、そこで歌われるのは女性の連帯ではなく、むしろ男性をめぐる女性同士のキャット・ファイトのような内容であり、落胆の声が多く聞かれた[16]。K-POPは「自己肯定感」が高まるから好きだ、という意見は多い。しかしその裏には、「そのままのあなたでよい」、つまり「現状について何も考えず、意義を唱えなくてよい(どんなイズムにも属さずただ消費していればよい)」というメッセージが隠れているとも考えられるだろう。「イズムなき消費」は、K-POPインダストリーと熱狂的なファンダムの共犯関係の上に成り立っているのだ。

 

[1] ばるぼら・野中モモ編著『日本のZINEについて知ってることすべて 同人誌、ミニコミ、リトルプレス―自主制作出版史1960~2010年代』誠文堂新光社、2017年、p. 2
[2] アリスン・ピープマイヤー『ガール・ジン―「フェミニズムする」少女たちの参加型メディア』野中モモ訳、太田出版、2011、pp. 17-18
[3] 吉光正絵「韓国のポピュラー音楽と女性ファン : K-POPアイドルのファン・カフェのマスター調査から」『長崎県立大学国際情報学部研究紀要 第16号』2015年、p. 174
[4] 尹秀姫「K-POPファンダムの変容」『ユリイカ 2018年11月号 特集=K-POPスタディーズ』p. 54
[5] 尹、前掲書、p. 55
[6] すんみ「BTSという共通善とファンダム――K-POPの「ソーシャルメディア的想像力」を考える」前掲書、p. 114
[7] すんみ、前掲書、p. 115
[8] 清水暁子「K-POPファンとそのTwitter利用に関する一考察 : D. ムルティとE. ゴフマンの理論を中心に」『早稲田大学大学院教育学研究科紀要 別冊 26号』2018年、p. 148
[9] ibid.
[10] moguraVR「少女時代ら所属の韓国SMエンターテインメント、メタバースも含む独自戦略を発表」2021年7月12日、https://www.moguravr.com/sm-congress-2021/ (2022年2月7日最終閲覧)
[11] SMCUについては、以下@mikikusano のツイートに詳しい。
https://twitter.com/mikikusano/status/1412021861358071808 (2022年2月7日最終閲覧)
[12] ピープマイヤー、前掲書、p. 116
[13] 前掲書、p.150
[14] 前掲書、p. 156
[15] 吉光、前掲書、p. 181
[16] 『Step Back』については以下に詳しい。韓東賢「Step Backされるのはどっちだ?GOT the beat『Step Back』の残念すぎる歌詞」Yahoo!ニュース、2022年1月8日、
https://news.yahoo.co.jp/byline/hantonghyon/20220108-00276285 (2022年2月7日最終閲覧)

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